決議の趣旨
当会は、政府及び国会に対し、以下の各事項の実現を求める。
⑴ | 死刑制度を廃止すること。 |
⑵ | 死刑制度の廃止が実現するまでの間、死刑の執行を停止すること。 |
決議の理由
1 はじめに
日本弁護士連合会は、2016年(平成28年)10月7日、第59回人権擁護大会(福井市)において、「死刑制度の廃止を含む刑罰制度全体の改革を求める宣言」を採択し、「日本において国連犯罪防止刑事司法会議が開催される2020年までに死刑制度の廃止を目指すべきである」旨を宣言した。これを受けて、当会においても、死刑制度存廃の是非についての議論を重ねてきた。
死刑制度存廃の是非については、死刑が有するとされる犯罪抑止力(威嚇力)への期待、応報の必要性、被害感情への配慮、国際潮流等の様々な観点から、多角的な議論が長く継続している。各観点における賛否の意見はいずれも傾聴に値するものであり、それゆえにこの問題について一定の結論を導き出すことは必ずしも容易なことではないし、長崎県弁護士会(以下「当会」という。)内においても多様な意見が存在するところである。
一方で、我々弁護士は、弁護士法第1条によって、基本的人権を擁護し社会正義を実現することを使命とし、法律制度の改善に努力することを義務付けられている。日本国憲法(以下「憲法」という。)第13条は、生命に関する権利(生命権)について、公共の福祉に反しない限り最大の尊重を必要とする旨を明言するところ、死刑は紛れもなく生命権に対する制約である。そして、死刑判決が確定した者も国民ないし人間であることに疑いはなく、死刑制度は常に人権問題を内包している。
多様な議論がある中で、当会は、基本的人権の擁護を使命とする弁護士によって構成される以上、憲法第13条の観点から死刑制度の是非に関する検討及び議論を避けることはできないと考え、死刑問題を多数決民主主義による正義とは異なる人権問題と捉えて、死刑制度の存廃について議論を深めてきた。 今般、当会は、死刑制度を合憲とした最高裁判決を念頭に置いたとしても、少なくとも現代社会においては、後述するとおり、死刑制度に対しては憲法第13条違反の疑いを拭い去ることはできないとの考えに至り、ここに死刑制度の廃止とその実現までの執行停止を求める次第である。
2 死刑制度の廃止を求める理由-生命権(憲法第13条)と死刑
⑴ 生命権の意義
日本国憲法第13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定する。生命権は基本的人権の1つであり、最大限尊重されなければならないものである。
生命権は「人が生きる権利」そのものであり、すべての基本的人権は、人が生きているからこそ意味を持つものばかりである。その意味で、生命権はすべての基本的人権の基礎となる最も重要な人権である。しかも、生命権はひとたび奪われてしまうと、これを回復することは何人にも不可能である。このような重要かつ回復不能な人権である生命権は、本来、不可侵とされなければならない。
⑵ 死刑制度を合憲とした最高裁判決
最高裁1948年(昭和23年)3月12日大法廷判決(刑集2巻3号191頁)は、次のとおり死刑制度が合憲である旨を判示した。「もし公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生命に対する国民の権利といえども立法上制限乃至剥奪されることを当然予想しているものといわねばならぬ。そしてさらに、憲法第三十一条によれば、国民個人の生命の尊貴といえども、法律の定める適理の手続によつて、これを奪う刑罰を科せられることが、明かに定められている。すなわち憲法は、現代多数の文化国家におけると同様に、刑罰として死刑の存置を想定し、これを是認したものと解すべきである。言葉をかえれば、死刑の威嚇力によつて一般予防をなし、死刑の執行によつて特殊な社会悪の根元を絶ち、これをもつて社会を防衛せんとしたものであり、また個体に対する人道観の上に全体に対する人道観を優位せしめ、結局社会公共の福祉のために死刑制度の存続の必要性を承認したものと解せられるのである。」
上記最高裁昭和23年判決は、死刑制度が合憲であることの理由として、①生命権であっても「公共の福祉」による制約に服すること、②憲法第31条(「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」)が、「現代多数の文化国家におけると同様」、死刑制度の存置を念頭に置いていること、③死刑には一般予防をなしうる威嚇力があること、④社会防衛目的の下、「特殊な社会悪の根源を絶」つことが必要であること、を挙げている。
⑶ 国際情勢等の変化
判決当時において多数の文明国家が死刑存置国であるという事実をその前提に置いていた。しかしながら、現代においては死刑存置国55か国に対し死刑廃止国(事実上の死刑廃止を含む。)は144か国にのぼり 、多数の文明国家が死刑存置国であるという前提は大きく崩れている。
加えて、最高裁昭和23年判決では、4人の裁判官が補充意見として、国家の文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする平和的社会が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感じない時代に達したならば、死刑は残虐な刑罰として憲法に違反するものとして排除されることもあり得ることを指摘した。
また、憲法第31条は、「法律の定める手続によら」ずに「生命」「を奪はれ」ることはない旨の手続面についての最低条件を述べたに留まり、死刑制度の設置を義務付けたものではない。
多数の文明国家が死刑存置国であるという前提が大きく崩れた現代社会において、死刑に対する国民意識(世論)は以前よりも変化しつつあり 、また、後述のとおり世界的に見て死刑の廃止により凶悪犯罪は増えていない点を踏まえれば、死刑制度の合憲性(憲法第13条適合性)はより慎重に検討されなければならない。
⑷ 死刑制度の憲法第13条適合性
前述の最高裁昭和23年判決は、死刑制度が合憲である理由の1つとして、公共の福祉に反する場合には生命が剥奪されることを憲法も当然予想していることを挙げた。
仮に、公共の福祉に反する場合には生命が剥奪されることを日本国憲法が当然予想しているとしても、生命の剥奪は究極の人権制約に他ならない。よって、生命権の重要性かつ回復不能性に鑑みれば、その是非は極めて慎重に判断されなければならず、やむにやまれぬ場合(必要不可欠な目的を達成するために必要最小限度の制約に止める場合)に限って例外的に許容されるといわなければならない。
1 公益財団法人アムネスティ・インターナショナル日本「死刑廃止国・存置国リスト(2020年12月末現在)」
2 2019年(令和元年)の「基本的法制度に関する世論調査」によれば、「将来も死刑を廃止しない」という回答は全体の43.9%であるのに対し、「死刑は廃止すべき」という回答と「状況が変われば将来的には死刑を廃止しても良い」という回答の合計は全体の41.2%であり、意見が拮抗している。
この点、社会防衛という制度目的が必要不可欠であることは疑いがないが、死刑制度が当該目的を達成するための必要最小限度の制約といえるかについては大いに疑問が残る。再犯防止は死刑によらずとも例えば仮釈放のない終身刑を導入することでも達成可能である。また、死刑は本質的に矯正教育を予定しないものであるため、懲役刑と異なり、矯正教育の必要性によって正当化することはできない。
加えて、政府は死刑制度は凶悪犯罪の抑止のために一定の効果を有しているとするものの、この点について科学的、統計学的な立証はなされていない。国連人権高等弁務官事務所(OHCHR) によれば、死刑が終身刑より凶悪犯罪の防止に効果的といえる根拠はないとの報告がなされている。また、死刑制度を廃止した国において、死刑制度を廃止した後に凶悪犯罪が増加した事実がないことも報告されている。例えば、フランスでは、死刑制度廃止の前後で殺人事件発生率に大きな変化は見られない。また、人口構成比等の点で類似する米国とカナダを比較した場合、死刑制度を存置する米国の方が、1976年(昭和51年)に死刑制度を廃止したカナダより殺人事件の発生率は高い。このように、死刑制度による凶悪犯罪の抑止効果が疑わしいことについては、それを裏付ける科学的・統計学的根拠がある。
なお、日本では、2014年(平成26年)に内閣府による世論調査が行われ、調査対象者の半数以上が、死刑制度がなくなった場合に凶悪犯罪が増えると回答したという結果がある。2019年(令和元年)の調査でも同様である。しかし、この調査結果は、回答者の過半数が死刑制度廃止により凶悪犯罪が増えると主観的に認識していることを裏付けるに過ぎず、それ以上に死刑制度が凶悪犯罪を抑止する力があるとの主張を客観的に裏付けるような意味を持つものではない。
以上のとおり、死刑の犯罪抑止効果について充分な立証がされていない以上、死刑の存置はやむにやまれぬものということはできず、よって、公共の福祉による制約として死刑制度を是認することはできない。
3 えん罪・誤判のおそれと死刑
人が裁く以上、誤判の可能性は常にある。誤判による死刑の執行は、国家による、これ以上なく悲惨な、取り返しのつかない人権侵害であり、絶対にあってはならない。ところが、1983年(昭和58年)から1989年(平成元年)にかけて4つの事件(免田事件・財田川事件・松山事件・島田事件)にお
3 United Nations for Human Rights Office of the High Commissioner, Moving Away from the Death Penalty:Arguments, Trends and Perspectives(2015), P88
いて再審無罪が確定しているところ、これらはいずれも死刑判決が確定していた事件であった。さらに、有罪無罪の判断のみならず、量刑の判断においても誤判の可能性は否定できない。すなわち、裁判員裁判における死刑判決が、控訴審で量刑不当により破棄・減刑された事例が7件報告されており、いずれも無期懲役判決が確定している。
加えて、現在も袴田事件の再審が審理中であり、我が国は現代においても死刑えん罪事件と無縁とはいえない状況にある。
これに対し、えん罪・誤判は刑事裁判一般に関わる問題であって、死刑制度に特有の問題ではないとの指摘もある。しかしながら、死刑は生命そのものを剥奪するものであるのに対し、例えば懲役刑は行動の自由を制限するものであって、刑罰としての性質が大きく異なる。特に、死刑は生命とともに人間的尊厳をも奪う刑罰であるという性質上、懲役刑等と異なり事後的補償が不可能である。
4 世論と死刑
死刑制度の是非は、生命権という最も重要な基本的な人権に関わる問題である。基本的人権は、歴史上、常に国家権力や多数派という強者により脅かされ続けてきたのであり、本質的に多数決原理による決定にそぐわない。そのため、死刑制度存廃の是非を、世論のみに委ねることは妥当でない。
加えて、死刑制度についての情報が充分に与えられ、世界的に見て死刑の廃止により凶悪犯罪は増えていないことを知り、さらに死刑の代替刑の検討も進めば、国民の多数の世論が死刑存置の根拠としていた状況が変わる可能性があると言える。日本においては、死刑確定者の処遇状況、被執行者が死亡に至る経過、刑務官など死刑執行に関与する者の苦痛の程度、被執行者を選定する基準、執行時における被執行者の心身の状態等の死刑制度の運用に関する情報が充分に提供されているとは言い難いのであって、現在の世論調査の結果のみをもって死刑を存置すべきとは言えない。死刑に関する情報公開が求められるところである。
5 小括
以上のとおり、少なくとも現代社会において、死刑制度に対する憲法第13条違反の疑いを払拭することはできない。違憲の疑いを残したまま、回復不能な生命を奪うことは許されない。よって、多数の文明国家と同様に、我が国においても死刑制度は廃止されなければならない。
また、誤判・えん罪により死刑が執行されてしまった場合に当該生命を回復させる手段を我々は有していない。よって、回復不能な損害を発生させないため、死刑の執行は直ちに停止されなければならない。
6 最後に
人が犯罪、しかも凶悪な犯罪に至る背景には、家庭や学校、職場、社会での虐待、いじめ、差別、貧困など生育歴上の問題、環境上の問題等、個人の責任に収斂させることができない様々な問題が多数存在している。19世紀末から20世紀初めにかけて活躍した刑法学者であるフランツ・フォン・リストが、「最良の刑事政策は社会政策である」と述べたように、犯罪を減らすためには犯罪者を処罰することだけではなく、社会を良くすることを考えるべきである。置かれた環境によっては、誰しもが犯罪者と同じ運命をたどる可能性があることを考えると、犯罪に陥ることのない環境を保障できなかった社会の側も、犯罪が起こってしまったことに対して一定の責任を負うべきであり、全てを犯罪者の責任に帰することはできない。
他方、犯罪被害にあった被害者並びにその遺族に対する支援は、死刑制度の存否に関わらず、拡充されるべきものである。現行の犯罪被害者等支援の施策に関しては、直接的支援・経済的支援の不十分さが指摘されており、死刑制度の廃止を訴える当会においても、犯罪被害者等支援政策の拡充を望むところである。
凶悪犯罪を防ぐために必要なものは私たちの社会の在り方を見直すことであって、死刑による威嚇ではない。よって、当会は、政府及び国会に対し、死刑制度を速やかに廃止すること、及び、死刑制度の廃止までの間、死刑の執行を停止することを強く求める。
以上のとおり決議する。
2023年(令和5年)2月22日
長崎県弁護士会
会長 濵 口 純 吾