長崎県弁護士会 会員 平山 愛
小1の息子と人生ゲーム。「結婚する」のマスに止まった息子に、「男と女、どっちと結婚する?」と尋ねる(手持ちの人生ゲームのピンは2色のみ。最新の人生ゲームのピンは6色あるそうだ)。「僕は男だから、結婚するのは女でしょ」と息子。「男だったら男と結婚したらダメなの?ママの友達には、女と結婚した(米国での結婚)女の人もいるよ?」と私。息子は、「じゃ僕はパパが好きだから青にする」と、助手席に青色のピンを刺す。
2019年、札幌、東京、名古屋、大阪、福岡の裁判所で、同性カップルの結婚を認めない現在の法律は憲法違反だと訴える「結婚の自由をすべての人に訴訟」(いわゆる同性婚訴訟)が始まった。今年3月、大阪高裁は、同性カップルの結婚を認めない法律は、法の下の平等を定めた憲法14条1項、婚姻に関して個人の尊厳と両性の本質的平等を定めた憲法24条2項に違反すると判断した。これにより、大阪高裁を含む5つの高裁全てが「憲法違反」の判断をしたことになる。
なぜ、同性同士は結婚できないのか?そもそも結婚は何のためにあるのか?国側は、『結婚は、男と女が子を産み育てながら共同生活を送るという関係に特に法的保護を与えるものである」と主張した。これに対し大阪高裁は、『明治民法以来、子を持つことやその可能性があることは婚姻の成立・存続の要件とされていない』と判断した。続けて、大阪高裁は、『同性カップルが互いに自然な愛情を抱き、法的保護を受けながら相互に協力して共同生活を営むことは、異性カップルと同様に人格的生存にとって重要であって、現在では、社会の倫理、健全な社会道徳、公益のいずれにも何ら反しない』として、同性婚を認めないことに合理的理由はないと結論付けた。加えて、『婚姻以外の他の制度により不利益は解消されうる』との主張に対し、『同性カップルについてのみ婚姻と別の制度を設けることは、新たな差別を生み出す危惧が拭えない』とくぎを刺した。
米国で同性結婚した私の友人は、大阪訴訟の原告の一人である。彼女は取材に対し、「特別なことは何も訴えていない。男女の夫婦と同じように扱って下さい、それだけです。私たちはここにいるし、同じ社会に住んでいるし、身近にいる存在。これ以上、“いない”ことにはしないでください」と語っていた。
私の周りにも、「同性愛者」と聞くだけで嫌悪感を露わにする人や、同性カップルで生活するのは自由だが、結婚したがるのはわがままだと断じる人がいる。他方で、同性愛者であることに悩み苦しみ、自死を選ぶ人がいる。現実が変わるのはいつなのか。大人になった息子の助手席に乗る人が誰であっても、“いない”存在にしなくてもいいように…そう締めくくりそうになったが、「今この瞬間にも、悩み苦しんでいる仲間がたくさんいる」と憤る友の顔が浮かぶ。政府は、5つの高裁判決を受けてなお、「注視してまいります」と繰り返す。これ以上、「注視」している時間はない。
(2025年4月20日 長崎新聞「ひまわり通信・県弁護士会からのメッセージ」より抜粋)